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1993年にフェデリコ・フェリーニが逝った時、1998年に黒澤明が逝った時、
二人とも、巨匠らしい晩年のワガママ全開のいくつかの作品は、すでに時代に対する影響力こそ希薄になってしまってはいたものの、ともに映画にとって何やら漠然と大きいものが終焉した...、...と、感じられたものです。 この2人以上に偉大で個人的にもっと大好きな映画作家は数多くいますが、何というか、そういう個人的な想い入れを超えて、そういう印象を強く感じた次第です。 先日の訃報、ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonion 1912/09/29~2007/07/30)と、イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman 1918/07/14~2007/07/30)。 あわてて、同年代であるはずのエリック・ロメールがまだ存命であることを調べてみたり、マノエル・デ・オリヴェイラってもう100歳に手が届くよなぁ、と想い馳せたり、いろいろと考えさせられたのですが、両巨匠に個人的な想い入れがそれほど大きくない、という理屈ではなく、別に映画にとって何かが終焉した、という大げさな印象を受けることはありませんでした。 20代前半のころに背伸びしながら、ベルイマンの50年代~60年代の作品に眉間にしわ寄せて取り組んだことを思い出します。もうずっと観ていませんが、名コンビである撮影監督スヴェン・ニクヴィストの強烈に固いフレームは、いまだに脳裏に焼きついています。 一方、アントニオーニはまずもって、モニカ・ヴィッティの美しい能面顔とともに想起することになります。 両巨匠のご冥福をお祈りするとともに、以下、それぞれ一番大好きな作品について駆け足ながら触れてみることで、追悼させていただきます。 ******************************************************** ベルイマンの「私のこの1本」は、『ファニーとアレクサンデル』です。 本当はもっとシリアスな顔で、『魔術師』とか、『冬の光』とか、『仮面/ペルソナ』だとか言いたいのですが、私にとってはベルイマンと言えば、もうどうしようもなく『ファニーとアレクサンデル』なのです。ちなみに私はこの映画を、「白い5時間の映画」と、勝手に呼んでいます。 ![]() 長大な群像劇のようにも語られますが、群像というのはあくまでも、取り戻すべき時間の象徴と、それを奪うべく敵対する(カリカチュアされた)プロテスタント的な教義であるわけで、物語はあくまでもこの対立にターゲットした「戦いのドラマである」と言ってよいでしょう。 なのでつまり、この映画には激しい戦いがあるし、少年がシックスセンスで幻視する幽霊も出てくる、そういうおもしろい映画であるわけです。 ここでのベルイマンは、いつになく宗教への懐疑が露骨です。つまり、戦いのドラマにおける相対する一方に相応しく、完全に"悪者"として象徴されます。 しかもその戦いに賭けられたものは「自由」であるという、...つまり何が言いたいのかというと、「神の沈黙」などと観念的で遠回りな懐疑や不条理に苦悩する人物はおらず、自由を賭けた価値観の真っ向からの戦いであるわけです。 しかも戦いの背景は、淡い暖色、本当に白らしい白、そして何者かが潜む影、キューブリックの『バリーリンドン』を超越する光の戯れが、圧倒的な美しさで溢れかえっています。 当時ベルイマン65歳くらいでしょうか。理解できます、多分やりたかったのですね、こういうの。 ******************************************************** アントニオーニの「私のこの1本」 ... 『情事』や『夜』や『太陽はひとりぼっち』や『赤い砂漠』等々、なにやら「愛の不毛」や「現在人の孤独」云々を観念的に言われるものよりも、もっと視覚的に、不条理とのパズルのような取り組み方に突き抜けた、そんな『欲望』が大好きなのです。 ![]() もちろん60年代前半の作品の多くは好きなのですが、やはり「愛の不毛」や「現在人の孤独」「絶望」などという謳い文句が、むしろ本質を邪魔しているように思えるのですね。では本質は何かというと、「え、何それ、」という狐につままれる感じ、これこそがアントニオーニの映像作家としての本質であろうと、そう思うわけです。意味を成していませんが、多分「え、何それ、」にハマる、そのほうが、正しいアントニオーニへの接近法だろうと思われます。 『欲望』では、ヒッチコック的なサスペンス・スリラーとしてあまりにも有効な伏線と言える「 謎の女 」「 写真の片隅に事件が写ってしまう 」という仕掛けを導入しながら、間違いなく物語はその仕掛けを求心力として展開していくかに見えつつ、どうもそれらの仕掛けたちには、全くサスペンスとして機能する意思がない、シナリオもそれを進んでなかったものとして放棄していく、で、最後には「こういうことがあって良い」というとんでもない肯定の力とともに、幕を閉じます。 「以前から間違いなくそこにあるのに見えなかったもの」が、ふとした出来事をキッカケに露わに見えてしまう、これは後にデビッド・リンチに受け継がれていく悪趣味な思想でありますが、『欲望』では有名なあのラスト・シーンの"肯定"のおけげで実に爽快なのですね。このような不条理劇であるにも関わらず、鑑賞後の気分が『天空の城ラピュタ』か『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』を観終わった後のような爽快感であるという(...そんなワケないか)、なんとも不思議な映画ですね。 ******************************************************** ちなみに、今朝、通勤途中に「読売ニュースpodcast」を聞いていたのですが、訃報のニュースで次のようなアナウンサーの語り始めがあり、一瞬衝撃が走りました。 「 『勝手にしやがれ』や・・・ 」 !!!... 「『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』で有名な、映画監督ジャン=リュック・ゴダールさんが、今朝、スイスのレマン湖畔ロールの自宅で亡くなりました」...と続くかと思い、ゴダールおまえもかっ!?と、一瞬崩れ落ちそうになりましたが、... 「「勝手にしやがれ」や「UFO」の人気曲の作詞で知られる・・・」 そう、阿久悠さんでした。びっくりた...(、と言っては大変失礼ですが、) 阿久悠さん(享年70)のご冥福をこの場を借りてお祈りします。 ■
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by hychk126
| 2007-08-03 00:33
| 映画
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