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「ダーレン・アロノフスキーとラース・フォン=トリアーとでは、どちらがよりSっ気が強いか?」
...といった感じの振りを、以前、サイドバーにリンクさせてもらっているk.onoderaさんところのコメント欄でやりとりさせていただき、宗教観の濃い「神の視点」を感じさせるラース・フォン=トリアーのサディストぶりと、より人間自身に寄り添うダーレン・アロノフスキー......といったニュアンスのコメントをいただいたことがあります。 日本国内で時は今、『ブラック・スワン』(Black Swan )と『アンチクライスト』(Antichrist)という形で合間見えているわけですが、上で言われている「神の視点」をもう少し映画的に噛み砕けば、ラース・フォン=トリアーには幾分かのカール・テオドール・ドライヤーの血が混じっており、アロノフスキーの「人間自身に寄り添う」感じを、主に『レクイエム・フォー・ドリームス』(2000)と前作『レスラー』(2008)に代表させながらもう少し具体的かつ限定に触れてみると、堕落や再起へのもがきを人間的な観察眼で捉える、といった感じになるのだろうと思いますが、人間の観察眼というのは結果的に、そこで描かれる対象を人間の理解の範囲内にとどめるだろうし、また、対象を突き放しながらもときには人間的な慈しみが混じったりもするだろうし、またそもそも、「受難」の要因も脱却の糸口も、全ては本人の中にあって完結しているという点で、「神の視点」で色濃い不条理性とは距離を置くことになるでしょう。 このように確実に異なる2人のサディストぶりはしかし、劇中の登場人物を肉体的にも精神的にも追い詰めることを通り越して、それが登場人物を演じる役者のレイヤーにまで達するほどの深さを見せつけるものとして似たものに感じられ、それが一定合いを超えた行き着く先というのは、ラース・フォン=トリアー寄りに引きつけて、「パッション」=「受難」という神学用語で表現してしまったほうが手っ取り早く本質を表現できてしまうようにも思います。 実際k.onoderaさんは、上のように書きながらも、別の場で『レスラー』のワンシーン(買い物のおばさんとミッキー・ロークのやりとり)を指して、「キリストと悪魔の頂上決戦」と、実に示唆に富んだ表現をされてました。 さて、久々に心底楽しみにしていた『ブラック・スワン』(Black Swan 2010)を鑑賞。 気合い十分で、劇場に向かう車中では、音量いっぱいにゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団盤の「白鳥の湖」をガンガン鳴らしてボルテージを高めつつ、でも自宅からワーナー・マイカルまで車で15分もあれば着いてしまうことに物足りなさを感じながら、レイトショーにしては観客の多い館内に入ったのでした。 今回のパッションが射抜くのはナタリー・ポートマンのみならず、露骨に生々しいキャスティングによるウィノナ・ライダーも十分その標的であるのでしょうが、まず今回に関して言えば「受難」というよりも、精神疾患にまで及ぶ抑圧から自身を解き放つヒロインの「自己達成」として描かれている側面もあり、それは「受難」ではないだろう、とも言えるし、むしろ「完璧だわ」のつぶやきとともに至るべき境地にまでブレイクスルーしてしまうという点では、これこそが解脱付きの真の「受難」だろう、と言えるかもしれないわけですが、とにかく、「受難」を経た果てに、決定的な転換としての結果を伴うところまでを堂々と描き切った本作は、興行的な成功も含めて、アロノフスキーのキャリアにおいてやっとオーガズムを迎えることができた爽快感とともに、非常に重要な1本になることは間違いありません。 『ファウンテン 永遠につづく愛』(The Fountain 2006)のように、決して悪い出来ではないけれどこちらを不穏な沈黙に誘ってしまうような路線ではなく、現時点でアロノフスキーの本領と言い得る路線の上で、つまりファンの期待値にも限りなく近い場所で、とうとう理屈も掛け値もなしにメジャーでおもしろい映画を撮ったことに喜んでおきたいと思います。 そして、鑑賞前の期待値としても、鑑賞後の感想としても、つくづく感じるのは次のようなことです。 内なるオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)に引き裂かれながら、「オープニングナイト」へ向けた「壊れゆく女」として、美しいプリマの受難を描く、...と言うように要約できる題材について、なぜ今まで「映画」がこれほど魅惑的な題材を取りこぼしてきたのか...ということに驚きを禁じえない...。 もちろん、あれだけ絵になるビジュアルであるはずのクレシック・バレエを主要モチーフにすることが、記録映画ならともかく、フィクションが描こうとするとき、そこにかなり高いハードルがあるのは理解できるわけで、バレエ・シーンのみならず、大きな鏡であったりトランスルーセントなアイテム群であったりといった、なんとも光学的にワクワクさせられる被写体が、実は映画にとっては両刃であるだろう、ということも想像されるのですが、一方で、そういったことは全部放り出して、魔女の手による血の惨劇の舞台を名門クラシック・バレエ学校においてしまい、「トランスルーセントってなんだ?」と言わんばかりに原色の赤で塗りつぶし、「チャイコフスキーって誰よ?」とばかりにゴブリンのロックサウンドで全編を彩ってしまうダリオ・アルジェント(『サスペリア』(1977))のような、「とにかく花咲く乙女たちをバレエ学校の女子寮に配置せねばならない」...みたいな実践というのは、ものすごく信用できるものに感じられて、それくらい警戒心も遠慮もなくバレエをドラマのモチーフにしていくことがもっとあっていいように思うのです。 つまり、早い段階から娯楽としてのミュージカルを我が物にしてしまった映画が、芸術としてのクラシック・バレエに抱く劣等感みたいなもの(もしくは逆に形骸化したものとしての扱い)は、映画が『バンド・ワゴン』(1953)でフレッド・アステアとシド・チャリシーの和解を描いた以後も少なからずあったとしても、「映画だって十分芸術だ」、というよりもむしろ、「バレエだって十分娯楽だ」、という側から遠慮なくズカズカと接近してしまっていいだろう、ということですね。 『ブラック・スワン』に話を戻すと、上で触れた被写体としての鏡や半透明な触感、ということそのものには、アロノフスキーは大きな気負いもないようで、鏡の向こうに投影された自身の像が勝手に動き出すようなトリックこそありますが、それでも映像の質感自体はこれまでのサディスティックな観察眼路線が維持されており、特別に光学的な美意識を喚起させるような狙いはあまり見受けられません。 その代りと言ってはなんですが、自身にない大胆不敵な奔放さを見せ付けるリリー(ミラ・クニス)や、自身の末路を幻視するかのような恐怖を掻き立てるベス(ウィノナ・ライダー)や、ヒロインの禁欲性の牢番であり(ヒロインとは半ば共犯関係にある)、プリマにはなれず末まで群舞に妥協したキャリアを持つ母親(バーバラ・ハーシー)等々、主人公が向かい合ういくつかの像というのは、主人公自身の心理状態を残酷に映し出す鏡の暗喩として機能していると言えなくもないし、また、主人公の強迫観念につかれた主観による虚実の曖昧さは、物語の全体をヴェールのような半透明で見事に包み込んでいる...と言えなくもない、...かもしれません。 もう少しストレートに目に見えること、つまりバレエ・シーンそのものについて映画としての本作の取り組み具合について触れておくと、有経験者であり、長期の過酷なレッスンを経て役に挑んだとされるナタリー・ポートマンでさえ、劇中彼女の全身を捉える引きの構図は極力抑えざるを得ない...、という難しさを観客に感じさせてしまうかもしれません。...とは言え、ほぼ全編彼女の主観に寄った劇構成は、常に彼女に寄り添い続ける構図に、「逃げ」を感じさせることがなく、見事な説得力を与えることに成功していると言えるでしょう。 上に書いてきたような、劇映画が放っておくことが信じられないようなゾクゾクするほどの魅惑的なプロットに加え、2時間に詰め込むにはもったいないほどの映画向きのネタがちりばめられている本作は、夕食を済ませた後のレイトショーとして観るには過分の満腹感としてこちらに迫ってきます。 例えば、ヒロインを引き裂く大きな要素として性的な抑圧をクローズアップしている点がサービス満点で、それに応えるナタリー・ポートマンのがんばりには拍手を送りたい。 また、精神疾患を患うヒロインの主観に寄り添うカメラの立ち居地は、徐々に観客に共有されることで絶妙なサスペンスを構成しているわけですが、それは、彼女の周辺の出来事や人物をことごとくミステリアスに染めてしまう効用を持っており、それ自体はスリラーの常套手段ではあるけれど、「所詮はスタイリッシュな映像作家」、みたいな括られ方に甘んじているようにも見えたアロノフスキーが、いつの間にこんなにコツを押さえた演出を発揮できるようになったのか...と驚かせるほどに、あちこちで覿面の効果を発揮しています。特に、自身のキャリアと比べたときのプリマを手中にしたわが子への嫉妬のようなものをジワジワと感じさせるニナの母親などは、虚実の境なくホラー映画真っ青の抜群の個性だと言えます。 さて、自らの強迫観念によって四方を反発に囲まれた窮地のヒロイン。そんなヒロインが「虚」と「実」に苛まれながらも、結果的には「実」において完成を達成するクライマックスは、見せ場となる「虚」の横溢がドンドン加速する果てに、大時代的なスポットライトと音楽の終焉の中、拍手に包まれたステージ上に、ドラマティックに用意されることになります。 本作はメロドラマではないけど、ステージものにおける映画の完成の在り方(?)...みたいなものを充分心得てか、後日談を一切置かないこの映画は、ヒロインの完成と運命を共にすることになります。 このあたり、定常性を恐れない全体のグランド・デザインが実に堂々としていて、それは、時に過剰に感じられるVFXシーンを手なずけるほど絶品で、さきほどから何度か触れているように、やっぱりお腹一杯充足感たっぷりに「おもしろい映画を観た」...と、帰路でつぶやける作品です。拍手。 拍手と言えば、あらためて考えると、いつもながらの怪しい風貌そのものが敵か味方か判然としない役回りにぴったりのヴァンサン・カッセル演じる舞台監督の、ヒロインの変貌を早い段階から見極めていたと言える洞察力にも拍手が必要かもしれませんね。
by hychk126
| 2011-05-27 01:09
| 映画
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Comments(7)
そのときそのときは真摯に考えて書いているつもりなのですが、光栄にもご紹介いただいた内容が一貫性を欠いていたなあ、と自分ながら思います。
でもそれで良いのかもしれないと感じるのは、hychkさんの書かれるような、複雑な事象はあまり単純化せずにそのままのニュアンスを伝えようとする誠実さに心打たれるからだと思いますし、ここで『ブラック・スワン』をめぐるアロノフスキーの作家性の微妙な感覚が、絶妙に文章化できていることに嫉妬の念すら感じたりもします。
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>なぜ今まで「映画」がこれほど魅惑的な題材を取りこぼしてきたのか...ということ
について、本当にその通りだと思います。 今回、映画としてのアドヴァンテージをそのまま生かした、アロノフスキーとしてはやや王道に過ぎるようなバランスの作品になったのは、やはり今まで描かれてこなかったということから、映画史の隙間を埋めるような役割をアロノフスキーが引き受けてしまった、というよりは引き受ける快感に酔いしれている感じもして、本作のクライマックスに至っては、こんなにカタルシスを感じてしまってもいいのかな、といささか逡巡しつつ、「でもいいや、このまま行っちゃえー」というような、原初的な感情を揺り動かされました。
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hychk126 at 2011-05-29 01:36
k.onoderaさんのおっしゃる"シロノフスキー"に対する"クロノフスキー"が若干希薄なのは確かにそのとおりで、それは、同じく指摘されているように、ラストで「完璧だわ」と自らを称えるヒロインに監督自身の心情がそのまま重ねられているのが間違いないことからも分かるように、今回は「おもしろい劇映画」であろうとする強固な意志によるものだと思います。
>映画史の隙間を埋めるような役割をアロノフスキーが引き受けてしまった >というよりは引き受ける快感に酔いしれている感じもして... ああ、確かにそんな感じです。 ラストのホワイトアウトなんか、完全にアロノフスキーのエクスタシーじゃないか、という気がします。
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hychk126 at 2011-05-29 02:16
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bigblue909 at 2011-05-29 15:27
観ましたかー! 私にはこの映画、あまりにも完璧すぎて、感想が書けませんでした。もう、ニナと一緒に最後は「完璧だわ・・・!」ってつぶやいてました。完璧ですよねえ?!
そして「アンチクライスト」は去年映画ヲタによって神戸に作られた映画館、元町映画館というとこで上映してたので観に行く予定だったんですけど、なんだか忙しくて観に行けませんでした。ラース・フォントリアー、好きか嫌いかは別としてやっぱり「観たい監督」ですもの。行けば良かったなあ。 そしておっしゃるとおり、ウィノナ・ライダーはあまりにもはまりすぎてて悲しかったです。その昔ウィノナファンだった相方と、あれはねえ・・・と失笑してしまいました。
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hychk126 at 2011-05-29 22:31
>BBさん
「アンチクライスト」は京都でこれからです。ただ、ラースの映画を観に行くのにはそれなりのパワーが必要で、気持ち的には足を運ぶことが面倒くさくなっているのが正直なところです。 「ブラックスワン」は企画段階で勝ちの映画だと思いますが、出来栄えも十分でしたね。 「完璧だわ」でホワイトアウトしてしまうのはやりすぎかもしれませんが。
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cheap-loui
at 2014-03-16 03:36
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